あれとこれをとじっくり眺め比べて物を買うこともあれば、陳列されたそれを目にした瞬間に「これだ!」と一目惚れしたものを即お買い上げ、なんてことも。
前者だと購入する回数が多い消耗品などに多く、後者は日常的に身に着けるコートだったり財布だったり、そんなものが多いように思われます。あくまで私の経験論ですが。
そのお皿と私の出会いは、前の週末に振った雪がまだ解け切らず、歩道には雪だるまが半分とけたような塊が転がっている、そんな冬の日のことでした。
原宿で用事一つを済ませた私は、二つ目の新宿での用事までの時間をつぶそうと、表参道の「パスザバトン」へ向かいました。先輩からパスザバトンの話を聞いた時から、ずっと行ってみたいと思っていたお店です。
「前の所有者の思い出とともに、商品を売るリサイクルショップ」。なるほど、前の所有者と次の所有者のバトンをつなぐ中継点の役割、そんなお店なのだろうな、と店内の様子をあれこれ想像したり、売っている品物はどんなものなんだろうな、と期待に胸を膨らませておりました。
お店は地下にあります。
入口にはガラスのケースの中に、テディベアがちょこんと座っているのがまず目に留まりました。
テディベアといえば子供時代に寝るときはもちろん、いつでもどこでも一緒だった相棒であり、恋人のような存在。商品の一部なのかディスプレイ素材なのかはわかりませんが、パスザバトンのコンセプトを一瞬で伝わってきそうです。
さて、私の前を行くおばさま方が「あら、ヒルズの入口間違ったかしら?」と回れ右をするのを横に避けて、階段を下りました。
店内に入ってすぐに目に入ったのは、胸の高さほどの陳列棚に並べられたアクセサリーの数々です。リサイクルショップというよりは、普通のおしゃれなファッションアイテムショップのような店内。
期間限定で開かれている奥の、デザイナーデザインのスザニ(ウズベクの刺繍布)をいくつか見せていただいたあとで、私はそれとなく店内を観察しました。洋服もあれば、アクセサリーもある。陶器やガラスの食器もあれば、田舎の実家の襖の奥の缶からでてきそうな古臭い人形なんかも。ところ狭し、とまではいきませんが、ぎっしりと店を埋め尽くすように並んでいます。
商品には値段とブランドやサイズ、材質などの情報のほかに、前の所有者の思い出の情報が提示されています。「友人から頂いたものです」とか「デザインが好きで、北欧に行ったときに買ってきたものです」とか。
そんな思い出表示を眺めているうちに、私は足元の黄色い影に気が付きました。可愛らしい柄のテーブルクロスの上にちょこんちょこんと配置されている、黄色い…、洋ナシ?パイナップル?のような形のお皿。
私は瞬時に自分の部屋のイメージを頭の中に呼び起こし、そしてテレビの前の丸テーブルの上にその果物モチーフの皿をそっと乗せてみました。
「これだ」
私はよく小物をなくすのもので、3Coinsで買った枝豆のような3つづきの皿にピアスだとか、鍵だとか、ボタンだとか、ディフォルメマスコットだとかを置いているのですが、それをこの果物皿に変えてみたらどうだろう。いや、絶対いいと思う。ものすごくいいと思う。
テンションが上がった私は皿の値段を確かめるべく、皿を手に取ってそうっとひっくり返してみました。
5400円。
ちーんと鐘の音が鳴ったのを聞きました。レジスターの清算の音ではありません、意気消沈のチーンです。
いやだって、インテリアに、皿に、小物ぶっこむ入れに、5000円は、さすがに払えません。いや、払おうと思えば払えるのだろう。しかし、私の中では物の値段の基準は1テニミュ(1公演のチケットが5600円)。たかがお皿に、1テニミュ。支払うか否か。
結局私は青いコートを羽織った優しい店員さんに「また来ます」と伝えて、パスザバトンを後にしたのでした。おしまいおしまい。
今こうして思えば、手に入れなかったものだからこそ、こんなにも恋焦がれるのかもしれませんね。
なるほど。考えてみれば「一目惚れ」したグレーの牛革財布も、手帳も、金平糖のピアスも、盗まれてなくなってしまったから。だから感情と衝撃と思い出が一度に呼び起こされて、「惜しいものを失くした」と愛しく思うのかもしれません。