最近は別冊マガジンで連載中、全国各地放送局でも絶賛アニメ放映中の『進撃の巨人』にダダはまりしている山田です。
始めは私も「グロいの?へ~~(´・∀・)」くらいに思っていたのですが、何かの折にふと気になって?ああ、そうでした父が進撃の巨人に興味がありありだったようなので、じゃあいっちょアニメ見て、良さそうだったら原作買うか~くらいに思っていたら
まさかの
ドン ピシャリ
ですよ。
読み進める度に、驚きと、やれらた!という興奮と、読み返したくなる、読み解きたくなる快感に心が波打ちます。
twitterで長文語るとハタ迷惑でしょうし、ネタバレにもなっちゃうかな~って思って以下、「くりっくしたらぺろーん」って表示されるようにしてますので、ご興味ある方のみどうぞ。
- 進撃の巨人の魅力、勝手に語るよ
- 世界観ががっちりしているところ。しっかりじゃなくてがっちりしています。あ、でもしっかりしているのかもしれません。
ニュアンスで察して頂きたいんですけど、小物(特に立体起動装置)の機能、構造詳細がガッチリとしている。
作者の諌山先生が理系のご友人と考えたもので、実際に制作可能?らしいんですけど。
そんな所にリアリティの演出があるわけですよね。
実際に作ったらパイロットはGに負けてやばいことになるよっていうガンダムとはまた違っている。
SFってサイエンスフィクションですけど、「進撃の巨人」にはもっとノンフィクションに近いものを感じます。
例えば「絶望」的な描写が多い。
フォロワーさんが「進撃の巨人はあ、このキャラいいなって思ったら次のページで死んでる」っておっしゃってたんですけど、まさにそれ。
物語だったらキャラクター作ったらそのキャラに見合うだけの出演場面を用意して、セリフを用意して、盛り上がりを用意して、って物語を創るんでしょうけど。
進撃の巨人は(おそらくまだ死なないだろ、さすがに……っていう)主要人物を覗いて、すべてのキャラクターが平等にモブなんですよね。
あ、で、がっちりとしっかりの部分なんですけど。
「現在公開可能な情報」ってんで世界観の説明がコミックスだったりCM前後で紹介されるわけですけど。
その中でですね、「巨大樹の森」について「元は観光地」って説明がされていたんですね。
「観光地」
ふぉおおおお、実際にありえますよね。100年の間、平和だったわけですし。
巨人に怯える恐怖よりも、今この壁の中の暮らしを少しでも豊かにしていく方向になるわけですよね。人間の心が。
そこで生まれる観光地ですよね。ぶっちゃけすぎない巨大樹のどこに見る価値があるのかわからないんですけど。
進撃の巨人の世界観では巨大樹に「観光価値」を見出したわけですよね。
「森林浴」?
「癒し」?
うーん
「巨大な何かを見ることで守られている実感」?
うーん
観光地が非日常であることを考えると、
巨大樹の中では視界が樹に遮られているため、「壁が見えない」「壁に囲まれた恐怖におびえる生活」から逃げ出せるという心理的なものがあるのかもしれません。
まぁそこら辺は置いておいてなんですけどね。
進撃の巨人の物語の中で、「巨大樹の森が観光地である」という設定がすごく重大な事実として生かされる……なんてことはナイと思うんです。たぶん。たぶんね。
なのに、その設定をわざわざ出す。
ていうか細かい。
若干の設定厨である私としては興奮に息を荒げずには居られません。
まぁ端的に言えば設定が「吃驚する程細かい」ってだけのことなんですけど。
物語の根幹にかかわる部分、ハードの設定。
物語には影響を出さなそうな部分、ソフトの設定。
この両者がとてもしっかりしている。
読んでいて面白いじゃないですか。
- 壁について
- 壁の設定にしてもそうですよ。人類の居住領域の壁って三重構造になっていますよね。
ウォール・マリア>ウォール・ローゼ>ウォール・シーナ
ってな順に囲いができているわけですけど。
そこに出っ張った「おとり」としての特別居住区を設けたってだけでもう「な、なるほどーーーーー」なのに、その壁にまた人類対巨人の歴史のしかけを一工夫仕込むってんですから。
は、ははぁーーーーーとため息が出ます。
あとね。あとね。漫画では気が付かなくってアニメを見返していて思ったんですけど。
アニメだと1話(コミックス第一巻第一話)(物語歴845年)でウォール・マリアが陥落してますよね。50m級巨人の出現によって。
で、アニメ5話(コミックス第一巻第三話)(物語歴850年)にウォール・ローゼに攻撃があったとき。
この5年の間に壁の周りに変化が起きてるんですよね。
845年のウォールマリア時には、壁についた扉の周囲には(おそらく)何もないんですよね。
そこで扉を巨人の蹴りによってぶっこわされたわけですが。
このアニメ放送時で
「だったら巨人が昇れないような鋭角の堀をつくればよくない?」
「いや、壁と壁の周囲へ手を加えることは宗教が反対しているんだよ」
ってコメントやツイッターでの呟きが多数見られたのですが、
350年のウォール・ローゼ時。前回の襲撃から5年の歳月が経ち、しかもその直後の奪還作戦は大失敗しています。
そこで人類は、どうしたかというと。五話の扉に穴が開き、50m級巨人が消え、普通の巨人が区内に侵入してくるシーン。
壁の周りに、ちゃんと堀が掘られてるんです。
二重?なんていうんですかね。
扉を中心に二重の半円を描いたような?まぁ気になったら五話見て貰えばいいんですけど。
そんでもって堀の周りには木製のバリケードと柵のようなものが設置されている。
5年間で人類が講じた「万が一巨人がウォールローゼ突破したときの対策」なわけですよね。
話数としては数話しか進んでいなくても、物語時間軸では5年経っていて、その間の人類の成長が描かれているって。
なかなかすごいんじゃないかと思うんですよね。
いや、物語作品作るならそれくらいの心意気じゃないといけないのかもしれませんが……。
こんなことにいちいち感動してしまう私が甘っちょろいのかもしれませんが。
もうね、とにかく鼻息を荒くしてでも面白いっていいたい。
- 二次創作について
-
私の持論ですが二次創作の面白さは、物語に描かれていない部分について物語の中の断片から膨らませていくことなんじゃないかと思っているのですが。
上で鼻息荒く語ったように、設定がしっかりしているからなんかもう手を加えらんないっしょ……!!ってくらいアレなんですよね。アレって、ちゃんと説明しろよって感じなんですけど。
そんじゃあ今の時点で?物語にないところって何かって言ったら、人類側にとっての「希望」は「平穏」の部分なんじゃないかと思うんです。
いくらフィクションの架空のお話ったって、人類の攻撃が巨人にとって小石や砂のようで、むざむざと二階級特進していく様は見ていて胸が苦しい。
そしたらどこ補完するかって言ったらもうおそらくこのキャラクターが笑って過ごしていたこともあっただろうな~~っていうシチュエーションを描く、のかなと。
pixivやらニコニコ動画で感動する、泣ける作品に「目から巨人」みたいに、眼から何かトンデモナイものが飛び出る系のタグがいっぱいあることは、おそらく「定番のタグだよね」って感覚として把握してるかと思うのですが。(っていうか私がそう把握してる。たまに乱立してるとめんどくせぇなって思うけど)
二次創作や、本筋からの派生として「感動を創り出す」こと。
また「眼からサシャの放屁」みたいな感じで、簡単に感動を消費?感動したことを伝える。
この両者に長けたpixivに進撃ってすごく合っているんじゃないかと思うんですよね。別に援護じゃないですけど。
もちろん本来はイラストコミュニケーションSNSで、イラストや漫画、広がって小説を投稿する場だったわけですけど。
今は単純にそういう使い方をされていない。
「あ~~面白かった支部行ってこよ」
みたいに、pixivには物語の本筋からそれた、広がった世界があって、それを見に、消費しに行ってるっていう習慣がもう根付いているわけで。
まぁそれの一つのジャンルにホモがあって、「は~~渋でホモ漁ってこよ」みたいな発言もあるわけですが。
話しがそれたね。
えーとまずはこんな感じ???
色々と考察をしたり、考えたり、こねくり回したりしている部分あるのですがそれはまたの機会に。
だってもう朝の5時ですよ。ばかん。
今日朝早いのに。(笑
別マガを見ていないのですが、気になって購読しちゃうかもしれん~な感じです。
は~~楽しかった。
なかなかツイッターだと言えなかったキモチワルイ長文が書けて良かった!!!
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